平成5年(1993年)3月20日 OPINION掲載
二瓶 晃一 (執筆当時31歳)
●プロローグ・出発
1993年2月13日、私はアリタリア航 空1781便の機内にいた。12時20分発 の飛行機はもう3時間近く遅れている。 「流石にイタリアの航空会社だな」 私は心の中でつぶやいた。
「エンジン取り替えてるんじゃないだろうな」 「機長が昼飯食ってるんじゃないか」
まわりの乗客からそんなデマがとび始めたが、しかし、皆一様に「無理して飛んで落ちるよ りはいいか」と、思っている様子だ。
4度目の成田空港。だか、今回の旅は過去3回と違って少し遠出の旅。私にとって10時間以上も乗り物に乗っていると言うのは初めての体験だし、10日以上家を空けると言 うのも高校の時以来の事だ。出発前に「よくそんなに家を空けられたね」と聞かれたが、 実はそれにはわけがある。昨年申し込んだ福島県の海外派遣事業の「若人の翼」に落ちた ために、その代わりと言う大義名分があった のだ。
●若人の翼
小野町は「若人の翼」には、その事業の初期から多くの人材を送り、活発な活動をしてい るまちである。参加した青年達は今度は海外 から来る若者達をホームステイさせたりして 積極的にインターナショナルな活動をしている。
実は、私の兄も15年位前にこの事業に 参加している。当時は今と違い気軽にポッと 海外へ行くという感覚ではなかった。その為申し込み者も多く、私の兄は3年続けて落ち てようやく4年目に西ドイツ(当時)とイギ リスをまわるコースで欧州を旅した。
当時としては画期的な事業だったが、時代 が変わり若いOLが気軽にわんさかと海外旅 行に出掛けたり、市町村単位でもいろいろな 海外派遣事業がおこなわれたりして応募が減 ってしまったと言う。
「誰か申し込む人いないかね」友人の言葉に 「じゃあ俺が申し込もうか」と軽い気持ちで 申し込んだ。 「若人の翼に申し込みたいんだけど…」帰宅 して親に話すと「兄貴も行ってるんだしなあ…」 と言うのが親の返事。「ほう、こりゃあ言っ てみるもんだなあ」と思いながらせっせと申 し込みの書類の準備をした。
●面接
このOPINIONの第3号に「世界への 想い」と言う題で少し堅苦しい文章を載せた が実は、それが若人の翼書類審査の私の作文だった。編集長はその時、 「今回は時間あったの? 原稿の字が随分き れいだけど」と驚いていた。 「それ若人の翼の申し込み作文なんですよ」 と、私。「ばかやろう~」と大笑いの編集長。それにしても私の原稿はいつも相当きたないらしい。
30歳になったので一般団員ではなく班長候補で申し込まなくてはならない上に、面接 の会場は福島になると言う。あいにくと言う か幸いと言うか、前日に旅館の若だんなの役員会が岳温泉であり、しこたま飲んで泊まっ て福島へむかった。
何をかくそう私は面接( 試験)なるものをするのが生まれて初めてだ ったので初めて遠足へ行く子供の様に心が踊 り、待合室の中で多くの友人ができた。面接に参加したのは15人。そのうち2人が落ち る事になる。
実は、申し込みの時点で私は申し込んだら 誰でも行けるものだと思っていた。落ちる可 能性があるとわかったのは面接の数日前に友
人たちが開いてくれた「面接の対策と壮行会」と言う題の飲み会の席上だった。
「去年は申 し込んだ動機を英語で聞かれた」などいろい ろ聞かされ、英語を話す機会にしばらく恵ま れていない私は「こりゃあ大変だなあ」と、この時になって初めて気付いたのだ。
若人の翼は前述した通り、その当初はかな り画期的な事業だったように思う。しかし、 それから20年近くの年月が流れ時代が変わ ってくると、その本来の意味が失われマンネリ化した事業となってしまった様な気がする。今の様な形態が一概に悪いとは言えないかも しれないが、ホームステイだって公共的な場所の見学だって旅行会社に依頼すれば全部段取 りしてくれる。
若人の翼は県の事業と言う事で自由がきかなくコースも限定されてしまう事を考えれば、むしろ一般の旅行でいろいろ自 分で工夫した方が、単に海外旅行という視点 から見た場合いいような気さえする。
若人の 翼の目的が国際的感覚をみがくと言う事であ れば、私は外国の人達と一緒に旅行したら良いのではないかと思う。小野町にほぼ毎年のよ うに訪れる東南アジアの研修セミナーの若者 達。香港シンガポール・タイ・インドネシア ・マレーシアなどから各国1~2人が集まり 10人位のグループで日本各地を回る彼らを 見る時「日本人がこの様にできたらすばらし いな」といつも感じていた。
だから、若人の 翼も外国人と一緒に寝起きを共にしながら世 界を見て回ったら、参加をする多くの人達が地球人としての感覚が磨ぎすまされていくの だはないかと思う。
こんな話を壮行会の席でしたら先輩の一人 から、「そりゃあいいとは思うけど、面接で はそんな事言わない方がいいと思うよ」とア ドバイスされた。どうやらそう言う余計なこ とを言うと落ちる可能性があるらしい。「ん ー…」私は心の中で思った。「こりゃあ面接は絶対落ちるな!」
飲み会は私のあいさつでしめる事になった。「もし落ちたら自分自身で海外へ行こうと思 っています」
私は自分にプレッシャーをかけ る意味もあってこう言った。今回の旅行はこ の時から動きだした。
●落選
「もしもし…」 私は友人からの電話を何気なくとる。 「新聞に名前でてなかったぞ!」 一瞬何の事かわからずにいたが、「あー若人 の翼ですか?」新聞をガサガサ探して見ると 選ばれた人の名前が載っている。 「いやーこんな事もあるでしょう。ハハハ」 「笑い事じゃないぞ」 確かに笑い事じゃない。若人の翼に参加した人達などでつくっているらしい「友の会」と いうのがあって、私が申し込んだという事で 推薦してくれたのだ。小野町は積極的に活動している事もあり、今までは推薦して落ちた 人はいないそうで、私が初めてだという事だ。 せっかく推薦してくれた人達に恥をかかせた 様になってしまってほんとうに申し訳ないこ とをしたが、私自身もべつに落ちようと思って行ったわけではないので許してもらいたい。
忙しい夏が終わった頃から旅行の段取りを 考え始めていた。ちょうどその頃、サッカー の日本代表チームが海外で2月ごろ合宿をす るらしいという情報がはいった。初めはオー ストラリアで大会参加を兼ねてキャンプをは るとの事だったが、大会そのものが中止にな ってしまいイタリアの南部での合宿が決まっ た。ちょうど商売上も暇な時期なのでそれに 合わせて旅行を企画しようと決めた。
日本サ ッカー協会に詳しい日程などを問い合せると、「まだイタリアと正式に決まったわけではあ りません」との事。「旅行を企画しているのでだいたいの日程でもわかればと思ったので すが」と言うと「みなさんにあわせて合宿を組んでいるわけではありませんから」と冷たい返事。そんな事はわかっとるわい。Jリー グが始まりサッカー人気が高まっても、相変 わらずなのはサッカー協会の事務のおねえち ゃんの電話での対応ぶりだ。
何日かたってからサッカー専門誌に「日本 代表イタリア応援ツアー」と銘打ったツアー 募集の公告が載った。イタリアのプロリーグ と日本代表の試合2試合が見れる上にその他 は結構な自由時間がある。すこし移動が多い のが難点だとは思ったが、3つの都市くらいをまわるのがいいかなとも思いそれに申し込 む事にした。サッカーの他にはできれば温泉 地を訪ねたいと思い、旅行会社に電話して聞 いてみた。
担当の方がとても親切でイタリア 政府観光局がだしている情報誌の温泉特集ペ ージのコピーと、イタリアの地図(日本でい えば都道府県地図的なものか)をカラーコピ ーで送ってくれた。シーズンオフの所が多い のだが一年中オープンのところをなんとか探 して二・三決めておいた。果たして一人でま わる事ができるのかどうか…一抹の不安はあ るががんばってみようと、少し大げさな決心 をした。
●手紙
イタリアへの出発が近付いてきた2月の初 めに一枚のはがきが私の所に届いた。差出し人は原町のS君。今回の若人の翼で私ととも に落ちた人だ。はがきにはこう書かれている
「年賀状ありがとう。若人の翼はどうでしたか? (彼は私が受かって若人の翼に参加したと思っているらしい)私は落選して行く事が出来なかった。でも今は行かなくて良かったと思います。それは、今年の5月3日から10日間、若い根っこの会(本部・埼玉県川越市)が主催する洋上大学に参加する事になったからです…500人以上の人達が豪華客船ふじ丸でグアム・サイパンに行きます。…若人の翼で友達になれるのは県内の人達だけですが、洋上大学は全国からの人と友達になれる。しかも、講師は上智大学の渡部昇一教授など一流です。若人の翼に行けなかった事を感謝しながら、大いにこの洋上大学で積極的に得てこようと今から から張り切っています。
あの審査の日に色々 な人が来ていましたが、一番印象に強かった のが二瓶さんでした。…… 二瓶さんとまた どこかでお会いできる日を楽しみにしていま す。」
「やっているなあ」思って心が熱くなった。 きっと彼はこの旅行ですばらしい体験をして くる事だろう。もちろん若人の翼に参加した 福島のK君や保原町のS君。きっと楽しい旅 の思い出とともに、いろいろな事を感じとって 来たに違いない。いつか「○○旅行の報告」 というのではなくて、みんなで集まっていろ んな世界の事を話してみたい。
たった4・5時間程度の出会いであったが こんな私を覚えていてくれて、またいつか会 いたいと言ってくれた事がとても嬉しかった
やっと動き始めた飛行機は滑走路から全速 力で空へと掛け昇った。今まではいつも夜の フライトだったので、今日の成田空港のまわりの 景色がすごく新鮮に目に映る。空港の建物と そのまわりの山々。そして、それらをめぐり 結ぶ道路。そんな風景が旋回していくたびに 少しづつ、少しづづ、「地図」になっていく。
やがてジャンボ機はその翼を青い空になげ 出し、銀色の腕が太陽を映してまぶしく光っ た。乗客500人を乗せた3時間遅れのアリタリア・1781便が今進路をヨーロッパに むけて発進したのだ。 私のイタリアへの旅はこうして始まった。 (つづく)
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