平成5年(1993年)9月20日 OPINION掲載
二瓶 晃一 (執筆当時31歳)
★小野小町リカちゃん
「二瓶さん、お約束の『小野小町リカちゃん 』が完成しましたよ」
タカラの工場長さんの 酒井さんがそう言いながら、わざわざ私に完 成したばかりの十二単衣を着たリカちゃんを 持ってきてくれた。約束と言っても、ただぼ んやりと夢の様に「小野小町リカちゃんなん か、いいんじゃないですか」と言ったその言 葉に、工場長さんは「それはぜひ作ってみたい ですね」と言った事を、ちゃんと約束と思って 実行してくれたのだ。私は何か夢が一つかた ちになった様な気がしてとても嬉しかった。
思えば、このOPINIONで、「リカち ゃんキャッスルが地域と掛け離れたところで 進行している」と批判めいた事(批判そのも の?)を書いた時、新聞に折り込まれたその 日の朝に電話をくれた。
大体、何かを批判す ると町の飲み屋さんのカウンターで「あいつ は生意気だ」などと、批判した人間の悪口を 言うのが関の山のこのまちで、書いた事にす ぐ反応する事自体驚いたが、話てみて私の 様な若輩者がかって気ままに話す事にじっ くり耳を傾けてくれた事には、ほんとうに敬服した。立場が逆であったなら、私自身がそ んな対応を出来るかどうかと思うと何やら恥 ずかしさまで覚えた。
その時、「みんなが持っているオモチャを持ち寄って貸し出しができる様にしよう。」 とか、「タカラの製品だけでなく、日本のオ モチャの歴史が見れる様な博物館だったら」 などといろいろな話をしたが、しばらくたっ てキャッスルを訪ねた時に、私の話た事が少 しづつ実現している事にまたビックリした。
もちろんレイアウトや期間の関係もあってそんなに規模が大きくはないが、ちゃんと私 たちがこどもの頃にたくさん集めたウルトラ マンや怪獣達のビニール人形のおもちゃもあ ったりして(多分、タカラの製品ではない)この早業と実行力には、夢をかたちにするオモチャ屋さんの神髄を見た思いした。
★磐越自動車道
そんな小さな夢がかなっただけでも嬉しい ものなのに、もっともっと大きな夢がかなっ たら…それはきっと想像を越えた感動がある に違いない。着々と工事の進む磐越自動車道 を見ながらふとそう思った。
実は最近、事務 所の棚から古いファイルを取り出して見る機 会があった。その中に、あぶくま洞が発見さ れた時の新聞の観光特集ページがあり、今は なき故 湊徹郎(当時衆議院議員)さんや、 故 宗像徳弥(当時小野町長)さんなどなつかしい顔ぶれの座談会が紙面を飾ってあった。
「魅力の阿武隈高原めぐり」と題したこの座 談会に実は、私の親父も出席していたのだが (だからスクラップにしてあったのだが)、 田村郡の各町長さんも出席していてその顔ぶ れが、渡辺直隆(三春)さん、玄葉与光(船 引)さん、宮原正亥(常葉)さん、渡辺寅記 (都路)さん、富岡一男(滝根)さんなどと懐かしいものなのだ。 その座談会の中で「東北横断道いわき・新 潟線はぜひ田村を貫通させてもらいたい」と か「大滝根ダムが完成すれば水の観光の一大 拠点になる」とか言う話がでていて、今さらながらに読むととても興味深いものがある。私は「ああ二十年前のこの人たちの夢が、今かたち になっているんだなあ」と思った。 私の父親は他界してもう十五年近くになる が、当時いっしょに夢を見ていた人たちで今 も元気でいる人たちは、きっと感無量でこの 風景を見ているのだろう。 新聞の日付は、昭和48(1973)年5 月3日。見出しには「釜山鍾乳洞(仮称)6 月1日オープン・愛称募集」とあぶくま洞のオープンを告げる言葉がおどっていた。
★猪久保城
磐越自動車道は、そんな「往年の若手」達 にだけでなく、今の若手達にも偶然に感動を与える事になった。猪久保城がそれである。 高速道路の建設の為の発掘調査で、わが町 に中世の山城としては日本で一番古いのではないかと言われる城跡が発掘された。ただ古 いだけでなく、かなり高度な技術を駆使して作られた山城は、付近にある無量寺の阿弥陀 仏とともに、平安時代から鎌倉・室町にかけ て、何らかの高度な文化がこの地に花開いて いたのではないかと推測が急速に高まってき た。
私の所属する、小野町商工会青年部では、 1988年(昭和63年)から、復活小町キ ャンペーンを始めた。それは、「おらがまち には何もない」と言う発想から脱却して、自 分の住むまち、この大地に長い間培われてき たその歴史とともに、まちを再発見して、まちづくりをしていこうと言うねらいから始め たものだった。だから、この猪久保城が、自 分の町の歴史をみなおす一つのきっかけにな れは、こんな嬉しい事はない。
残念ながら、この城跡は高速道路の下にな ってしまうのだが、この山の後には小野町の最大の館跡と言う伝承のある館山がある。そ して西側には羽黒神社とそのふもとに無量寺。 谷津作の古老が長年の夢としていた、館山周 辺の整備などを小野町の公園事業としてでも 始めれば、きっと多くの発掘の成果がある様 な気がする。私達に課せられた今後の課題で もある。
★日影南麓構想
以前、秋田町長は小野町商工会青年部の創 立二十周年記念の式典にて、「日影南麓構想 がいつできるともわからない夢の様な話でチ ロリン村みたいな構想だと批判をあびている」
との話をされた事があったが、私は構想がす ぐには実現しない様な夢の話であっても、ち っともかまわないと思う。いや、夢の様な話 だからこそ、そこにまた夢を見る多くの人を引き付けてゆく事もできると思う。
ただ、こ構想がどういう訳か、ゴルフ場の 開発から始まったのは理解に苦しむ所だし、 間違いだと思う。
日影南麓構想を読むと、( 実際に読んだ人は少ないと思うが)もっと大 きなテーマがある。特に興味をひくのが、「 石と自然と人間との調和」だ。
小野町のみか げ石を使った「石のアート群」をエリア全体に配置する事や、みかげ石でつくる野外劇場 のアイデアなどはとてもおもしろいし、その 気になればすぐにできる事だと思う。
「ゴルフ場をつくるんでなければ、誰が( 土地を買う)金を出すんだよ」と言う事であ れば、何もゴルフ場を予定してあるスポーツ エリアの90%をそのままの山と残しておい てもかまわないと思う。
地元の人達が「御山 」と呼ぶ東堂山・日影山を山として残してお こうと言うのも一つの立派なアイデアだと思 う。
だいたい、すでにゴルフ場が一つあるまち で、しかも周辺の立派なゴルフ場にすぐに行 けちゃう環境の中で、無理にゴルフ場をつく るっ必要があるのだろうか?。百歩譲って、 どうしてもと言う事であれば、環境の問題を クリアしながら、小さな、例えばパター一本 でまわれる本格的なゴルフコースとか(私で もやれそうだ)、日本初の女性専用ゴルフ場 とか(小野小町と言う名前をつけているみた いなので)、そんな画期的なアイデアでもだ してもらいたいなと言う気がする。
ベストな方向へと、時に夢を修正していく 「勇気」をもつ事も大切な事である。
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