昨年は200年ぶりの生前譲位がおこなわれ祝意の中での改元となったが、その新元号の下最初の正月を迎え新時代を迎えた実感をまた新たにしている。先日、NHKで「万葉集」と「大伴家持」の番組の再放送をなどを見ながら、あらてめて新元号の事について考えてみた。
昨年の4/1は、新元号が発表になるという事で、朝からわくわくしながらテレビを見ていた。
発表された「令和」は、テレビ出演の先生方も言っていたが、私にとっても良い意味での「予想外」であった。
出典は「万葉集」の梅の花の歌の序文。
初めての「国書」からの出典という事もすばらしく、かつ「令」という初めて元号に使われた文字、そして「和」という今回で20回目となる、伝統の文字。新しいものと伝統を融合する、まさに日本文化を象徴するような元号となった。そして、その語感は、梅の花の印象と相まって、まさに「凛とした」気品にあふれている。
天平2年1月13日は西暦730年2月4日。およそ千三百年前の「歌会」の事を記したこの出典は、漢文といってもこれは一遍の「漢詩」である。「漢詩」は支那大陸の文化を起源とするものだが、また同時に、ひとつの「日本文化」でもある。この序文を深く味わえば、また、新しい年号がより素敵なものに感じる事だと思う。
すがすがしい気持ちで一日いたら、次の日、この元号に「いちゃもん」をつける「いつもの人達」の記事が飛び込んできた。あ~、本当にかわいそうな人達だ。
という事でいろいろと騒がれているこの万葉集の「梅歌序文」の「元」になった漢詩も読んでみた。
その漢詩は「歸田賦」と呼ばれ、漢王朝(紀元前202年–紀元220年)の官僚・発明家・数学者・天文学者であった張衡(78年–139年)という人によって、後漢順帝・永和三年(紀元138年)に作られた。「田園詩」というジャンルに分類されるものらしい。
その漢詩の最初の部分は
於是
仲春令月
時和氣清
原隰鬱茂
百草滋榮
という書き出しで始まり、ここの部分を下敷きに万葉集の「梅歌序文」は書かれているのである。
張衡は永初5年(111年)、漢王朝の安帝の時代に京官の郎中として出仕したが、安帝崩御の後の宦官政治に我慢できず、首都洛陽の腐敗した政治から退き、河北河間の行政官の任を務めた後、138年に喜んで引退を迎えたと云う。そんな彼の想いからか、この書き出しにはまさに仲春の田舎の風景が清々しく「描写」されている。
1300年前の万葉の時代のイメージだけでなく、約2000年前の漢王朝の風景をもイメージさせる今回の新元号、あらためて素晴らしいと感じるとともに、日本に元号が今も存続している事を誇らしく思う。
令和2年目の年、昨年の改元時と同じく、またあらたな気持ちで「新時代」を体感していきたい。
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