若だんな放浪記


平成6年(1994年)1月1日 年賀状

二瓶 晃一 (執筆当時31歳)

 昨年(平成5年・1993年)の秋、カタールを訪ねた。日本中を熱狂させたW杯アジア予選日本代表チームをサポートする為である。久しぶりに会った友人、初めて出会った若いサポーター、現地での楽しい仲間達との生活はとても快適だった。ゲームのない日は、地図を頼りに街へ出掛け、アラブの民族衣装を身にまとったカタール人達に道を聞きながらいろいろと歩き回った。

 

 ビーチからの帰りはタクシーがひろえず、ヒッチハイク。たばこ好きのエジプト人のおやじさんには日本のたばこを、パキスタンから出稼ぎにきている親切なおじさんには幸運の五円玉を、そして真新しい日本車に乗ったカタールのエリートさんには、JリーグのTシャツとそれぞれに記念品をわたしながらカタコトの英語で車中話をした。

    

 10月28日、あの最後の魔の10秒がなければ、旅は最高の終を告げたのだったが… 


 

 負けたせいもあったが、帰路のシンガポールでの「日本人向けバスツアー」は苦痛だった。自分の選択できないコースを20分きざみで回るツアーは、多くの日本人には好みなのかもしれないが、我々にとってはまさに「市中引回しの刑」的なものだった。

      

 有名なブランドの時計工場には目もくれず街中の何の変哲もない八百屋におしかける、そんな私の仲間達の行動がとてもおかしかった。                   

 地図を開き、道をたずねて歩きまわる、そんな手作りの旅が私にはやはりいい。